信じる🌠

芦田愛菜さんの「信じる」についてのコメント🎤

 「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

 「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められたんですけど」

 「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物象だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

 

 このコメントを聞いた時、納得しました。

 私は夫が、私を裏切るようなことをしない人で、いつも穏やかで優しい人・頼れる人だと思っていたけれど、それは夫に、私の理想・期待してしまっていただけのことで、夫が裏切ったのではなく、夫の見えなかった部分が見えただけだったんですね。

 全て夫なんだと受け止めるには、そこに愛がないと難しいことだし、自分が思っているような人ではなかったら、一緒にいても嫌なだけだし、どんなに頑張って受け入れようとしても、辛く・苦しかったので、私は離婚をしました。

 夫に裏切られたということが恐怖心に繋がり、その恐怖心をなくす方法が分からず、もし、恐怖心が消えたとしても、そこにもう愛はなく、ただ人として優しくしているだけなのかもしれないと気づいた時、土下座をし、お互い子どもの為に、他人になり、子どもの親として、仲良くして行きましょうと伝えました。

 

 私には、離婚が夫に対しての愛だったのかな?